4.29.2012

Curry02

彼女が言うにはこうです。
お釜を彫られたそうです。
それも相手方の過失100%で。
その際、最初から逃げようとした。謝罪も無い。
事故の衝撃で利き腕である右腕、右手に鈍痛が走り。
握力も普通より低下した。
大げさではなく現在も通院している。
それもあり、人身事故として警察に処理して貰った。
(警察の調書でも相手方の過失が100%認められている)
ただ、相手も老齢で家族、親族も心配するであろうから。
車の修理代、通院費用、休まざるを得なかった期間の給与保証額を貰えたら不問にする積もりだった。
しかし、相手のジジイが事故を起こした事は認めても、謝罪含む最低限の慰謝料を払わない。
相手方についている保険会社も、完全にジジイの過失であり、何をしても負けるのは判りきっているので。
必要な慰謝料は支払うべきだ、とジジイを説得しているが徒労に終わってるらしい。
保険会社がジジイに問いました。
何故そこまで頑なに自分の非を認めないのですか、と。
ジジイ曰く[何故わし(ジジイ)があんな小娘に金を出さないとならないのか]

知人の命に別状が無い事が判ったので、愚痴は聞き流しながら目の前のカレーに全力を投じた訳ですけれど。
現代の日本社会の縮図的なものを聞かされた気が致します。

団塊の世代と言う言葉があります。
戦後日本の復興を担い、1世紀もしない内にこの国を世界に誇る経済大国にした。
英雄として扱われている世代です。
が、それは今になってみれば老害でしかないのではないでしょうか。
団塊の世代が生み出したmaid in Japanなるものは。
確かに輝かしい成果でしょう。
ただ、それも時の流れに勝る事はありえません。
過去は過去として、現在の時の流れに取り残され。
栄光はあれど実用性の無い過去の遺物となっていくものが今後益々出てくるに違いないのです。
その時、昔の栄光に縋るだけ縋って今を担う世代を軽視し。
我大名の如き振る舞いを見せる老人のどこに価値があるのでしょうか?
日本社会は世代交代に失敗した後退型社会となっている評価がありますが。
あながち誤った指摘とも思えません。
一つにはジジイの様な存在。
もう一つはその様な存在をいつまでも許している現実。
換言すれば次世代の台頭の無さ。
これには教育問題含む多用な因子が関連している筈です。

(続く)


 written by 可愛い人

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